数週間前に、鍵を失くしました。
家の鍵です。
どこに置いたのか、ほとんどはっきり覚えています。
「ほとんど」というのは、覚えていたはずの記憶は、時間が経つにつれ、疑いの余地があるように思えるものに変わっていったので、少々あやふやになりました。
いや、ほんっと、無い。
なんで!?
玄関から入ってすぐの棚の上に置いたのに!
次の日に消えていました。
夫も「知らない」って。「見てない」って。。。。
はああああああ。。。
家の中を、もうありという場所を探しました。
ありようのないシチュエーションを頭の中に想定して。
使ってないコートやバッグの中まで。
棚の中、娘の手の届くとこも。(勝手にどこかへ入れたとして。)
でも無いんですわ〜〜〜!
これだけ無いと、こちらの精神状態がやられます。
今の状態は「鍵を失くした」ということ。
なのに、
「鍵を失くした」ことが何かのメタファーなんじゃないかと思えてくるのです。
「わたしは鍵を失くしたんじゃない。。。。。きっと、何かを。。。。わたし自身が気づいていない何かを失くしているのだわっ」
と。
もう頭おかしいです。
もしくは、こうです。
「わたしは何かを失う予定だった。大切な何かを。。。でもその代わりに、鍵が自らなくなってくれた。。。。鍵はわたしを、わたしたちを守ってくれたのだ!」
と。
ふふ。。。
そして、もしくは、こうも考えました。
わたしは鍵に、キーホルダーとして、お守りを付けていました。鈴の鳴るお守り。
今年のお正月、初詣に行って古いお札やお守りをお返しした際、頭の中にこの鈴のお守りのことがありました。
「これも返したほうがいいのかな」
って。
でもキーホルダーとして使っていたので、やめてしまったのです。
だから、お守り自らが帰ったのかなって。。。。
だいぶ頭おかしいですね!
でもそんなことを考えていたら、少しだけ気持ちが癒されました。
鍵を失くすって、いやですもん。
どこに行ったのかなあ。
そのうち出てきてくれるのかな。。。。
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